田原中学校の運動場の南側フェンス外
(テニスコートのある側)に,写真のような看板を発見しました。「鈴木春山」といわれる人物の邸宅跡ということらしいです。看板の最後に「平成18年12月 田原市教育委員会」とあるので,ざっと10年くらい前にたてられたもののようです。
"春山"という人物について,インターネットで調べてみると,次のようなことが載っていました。
801-1846 江戸時代後期の蘭方医,兵法家。
江戸後期の兵学者。名は強、通称俊三郎のち春山、童浦と号す。三河田原(たはら)藩の藩医の家に生まれ、初めは医学、ついで儒学を修めた。1826年(文政9)九州方面を遊歴し、帰国後30年(天保1)藩主三宅康直の侍講となり、35年藩主に随行して出府、同郷の渡辺崋山(かざん)と親交を結び、高野長英ら蘭学者と相識り、国防意識を強めた。41年出府してアヘン戦争の勃発を知り、断然医を廃して西洋兵学の研究に専念し、ブラントの三兵戦術書の蘭訳(らんやく)本などの訳述中に急逝した。